『日本の絡合のときに』
私達の国は、長い眠りの中にあり眠っていることすら知らず、自分が誰なのか忘れてしまっていた。
ようやく目覚める人が一人二人と現れて、互いの存在を知り始める。
何と長く眠っていたのか!
しかも、まだ連綿と眠っている人がある。
この国に生まれて、この国のため世界のために役目を果たすとして降りて来たのに、あまりに長く眠ったためどう動いて良いのか分からないまま、それでもじわじわと動き始めたのが令和三年の年が明けた頃。
一人で孤独に歩き始めた道に、一人二人と合流して来る。
それぞれに自分の道を進みながらも、互いの思いが通じ合う仲間。
そんな生まれる前から知っていた魂達の志を感じながら、我が道の真っ直ぐ前を向いて進む。
自分と、仲間と、そして神々が守って来たこの国の光が、今「絡合」を始める。
「絡合」とは、個としての独立した光を生きながら、集合体としての立ち位置にあること。一人だけで成り立つ個人的な世界観と、仲間達と共に進むことによってその中で生きる在り方の調和を保つこと。
これが叶うのが、日本と言う大地に集まって来た魂の仲間達なのです。
世界の波動が大きく開くときに、光の「絡合」を果たし地球の進む道を牽引する役目を担う者達にとって、2022年令和四年は自分が何のために地上に降り立ったのか、ハッキリと思い出し示さなければなりません。
これまで眺めていただけの世界に対し、自分の立ち位置を見付ける。どんな問題が起こっても、まるで人事かのように傍観していた部外者の観点から、それを解決していく中心に立つこと。
迷路にはまっていた世界に、光が灯る。千々に乱れていた物事が調和へと進む。
私達の国、日本は、神々が道しるべとしておいた国。人々が道に迷ったときに、お手本として見習うものを示すために、長い年月を越えて保って来たのです。
皇紀二千六百八十二年
皇紀は、神武天皇が日本を平定されて即位してから2682年経ち、一度も他国に奪われず純粋な神々の子達で繋いだ証しです。
令和四年は神々が遣わした魂達にとって、共に降りた仲間達と呼吸を合わせ、神々の手足、実動隊となるとき。
それは、自分を抑え自由を諦めて行うことではなく、心から望むこと揺るぎなく求めるものに向かって真っ直ぐに進むこと。
見てくれや体裁に惑わされることなく、嘘偽りのない真の自分が選ぶこと。完全な自己一致を果たし、一点の曇りもない晴れやかな心で進むこと。
立場や年齢、体調や都合など、様々にある日常の条件のすべてが調和した、自分と言う個人の「絡合」が叶ったとき、日本の魂達の「絡合」が現れるでしょう。
外国から移住して来た人も、日本で生まれ他国で棲まう人も、日本を愛するのなら日本の神々から選ばれた魂達です。
地球の壮大な波動開きのときに、その一躍を担うために降りて来た魂なら、神々が指し示す光の道が目の前に見えていることでしょう。
真実の光を生きるときが来ています。
合掌。 寺尾夫美子
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