「混沌のときに」
私達はいつの間にか自分のことを忘れ、国のことを忘れ、生まれる前の約束も忘れている。
目に見えない道を歩んでいても、魂が決めた生まれる前の決意は常に心の中で息づき、ふとした時に思いとして浮上して来る。
それが、様々な邪念に覆われ、見聞きする穢れに曇らされ、自分が自分と約束したことすら思い出せなくなっている。
それが限界に達したとき、魂は身に絡めたすべてのことを放り出し、善きも悪しきも掻き混ぜて、始まりからのやり直しを決行する。
そのとき、それまで積み重ねてきた経験も、そこで得た知識も、先人達からもたらされたあらゆる教えさえも、一緒くたにごちゃ混ぜにする。
ーここから光あるものだけを見付け出せー
魂は己の自我を信じ、導きは自我を生きる地上の姿を見守り、自らの手で本来の光を取り戻せるかどうかのときを待つ。
「混沌のときへ」世界が同時に突入する。
あったはずの秩序が失われ、保たれていた習わしが崩壊する。
善人は善人らしくなく、悪人は善人の顔をする。
善きも悪しきも区別が付かず、小手先の考えで探すと見間違える。
内なる魂の光だけが道しるべ。
導きは、その光だけに光を降ろす。
探しているものが見付かったとき、その光は爆発的な広がりを持ってその者を在るべき所に誘っていく。
魂の精神的階層、人間の霊的な立ち位置へ、エネルギーと波動が完全調和を示す姿へと変容する。
同じ響きを持つ者同士が、次第次第に引き寄せられ、いよいよみ光の絡合へと成る。
令和五年は、この世界的混沌の中で、先頭を切って光に躍り出るための掻き混ぜが起こります。
私達の国日本は、そのお手本の国として、どこよりも速く、誰よりも厳しい掻き混ぜを迎えるでしょう。
何もかもがごちゃ混ぜになる中で、道を示すのは心の内にある光。
この光に、素戔嗚尊の高天原帰還により突破力が加わった今、私達は未だかつてない勇気と力を授かっています。
今までの自分ではないような、これまでそのような勇気も力も抱いた覚えがないような、そんなどこから湧くのか自覚も認識もないほどの勇ましさが私達の心に芽生えて来るでしょう。
神々の子として降りた私達日本人の新しい年は、泥海の中を進む小舟のように、ただ彷徨うだけの他者を尻目に、一人だけ泥を掻き分ける櫂をを持っているようなもの。
自分に信頼を置き、必ず目的地に到達すると強い意志を持って進めば、その櫂はより効力を発揮し、流れるように辿り着くでしょう。
小さな疑いが、あっと言う間に泥に流される危険もはらむときに、光であること、光で在り続けること。
そのすべてを導き手達、神々が見守っている。
混沌のときは、地上の自我がすべてです。
導きの手助けはありません。
暗闇の中を手探りで進むような、先の見えない道を探しながら歩むような、まさに魂の正念場となる年となるでしょう。
令和四年の冬至を越え、旧暦の元旦までに、心の光をたっぷりと蓄積して迎えましょう。
合掌 寺尾夫美子
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