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夫美子語録

年齢というレッテル
2009-5月18日(月)

人を「魂」として見つめると、今生での生きた年数などまるで意味のないものに思えていた。それは幼い頃からのことで、大人の人を見ていても、その人の年齢よりも精神性の方が目に映っていた。
幼稚園の頃など、いちいち子供扱いされるとむっとしていて、私の真意を理解しようともしないで、自分の推測を押しつけてくる人には、随分雑な人だと思っていた。ちびっ子のくせに、大人に向かって“あなたの人を見る目はそこまでかい!”と、心の中で思っていたものだ。
強引に「子供」というレッテルを貼られ、その枠の中で自分を判断されることが大変イヤだったのだ。
そんなときの私は、大変しかめっ面をして、むすーと口を利かずにいた。すると、素直でないとか、強情とか言われ、「意地を張っているのよ」と、また押しつけられる。
ますますもって不愉快。子供の頃の私は、殆どの大人に対して敵対心を抱いていたような気がする。
子供からいくらか成長し、ある程度の言葉も使えるようになってもまだ、中学生だからとか、高校生だからとか、やっぱり人を枠で捉えてくる人が大変嫌いだった。
社会人になると、次は年齢で判断される。
特に、私が社会人になった時代は、女性の社会進出が始まった頃。お姉様方は、就職することを「結婚までの腰掛け」と言われ、2〜3年も働いて寿退社しなければ、居心地の悪い目に遭っていた。致し方なく、退職する人ばかりだった。
なので、年が幾つかは、周りにとってとても関心の深いことだったのだろうと思う。結婚適齢期が、22〜23才と言われた時代に働いていた女性は、25才も過ぎると、おばさん呼ばわりまでされて、女性の価値は年齢のみとレッテルを貼られる。 常に自分の年齢に負い目を持ち続けなくてはいけなかったのだ。
さて、私はデザイナーだったので、年齢よりも「不良」のレッテルを貼られた。当時は、専門職など珍しい時代で、ファッションデザイナーなどは、「一風変わってはみ出しもので、常識外れの我が儘な自分勝手な自由を謳歌する人」と言うような世間の目があった。
タバコをパカパカと吸い、お酒を飲みまくり、男性との関係に貞操観念が薄いはずだと決められるのだ。たまったもんじゃない。
そのため、両家の子女風でいると、私生活を勘ぐられた。
毎晩どこかで飲み歩いているだろう、あちこちの男性に色目を使っているだろう・・と。
だから、やたらと真面目になる。色々と言われたくないから、噂されるようなことを一切しないようにと、防衛策をとった。
さて、それでも、やっぱり言われる。よくまあ、そんな作り話を、もっともらしく、どうして私だけ・・・。そして、20代後半を迎える。
すると、また、次なる枠がやって来る。
どうして結婚していないのか?きっと、めちゃくちゃもてないのだ。男が相手にしないらしい。よっぽど性格が悪いのか。料理も裁縫もできないらしい・・。
ある時、会社の同僚に、道でばったり遭うやいなや言われた。「寺尾さんて、どうしてもてないの?」ええー?なんでそんなこと言うの?と聞くと、「だって結婚してないもの」と。
一年も二年も仕事で関わってきたのに、いったい私の何を見ているのかこの人は・・・・
と、呆れた。それに、なんと短絡的な思考回路じゃ〜。
しかし、私のアラサー時代の、世間の目というのはそんなもんだった。世の中の常識が、その程度だったのだ。
どうやったら、どうしていたら、色々と憶測をされないで、ありのままの自分を理解してもらえるのか、私は暗闇の中にボールを投げるかのように、常識に当てはまって見えるように努力を続けた。要するに、人の目に分かり良い人になる努力をしていたのだ。
そして、いよいよ30才を超えたとき。私は、思いっきり悟った。
どんなに努力しても、人の目に応えることはできないのだ。人が私に下す決定を、覆すことは不可能なことで、そこに向けた努力などは意味のないこと。その結果を、それまでイヤと言うほど体験してきた。もう止めよう、と。
特に言われ続けたのは、派手過ぎる。
地味になる努力を、どれだけしてきたことか。しかし、どんなに努力しても地味にならない。それは、私が別の人になろうとしていることで、結果、地味に見えると言うよりも、どこか不自然なメッセージが伝わっているのだと分かったのだ。
三十路を境に、私は派手に生きることを決意した。もう、どうやったって派手なのだから、もっともっと、めちゃくちゃ派手に決めてしまえ!
それは大変スッキリした。呆れるほどの目立つ服、大きすぎるアクセサリー、ちょっと人がしないような着こなし。デザイナー仲間からは、「寺尾夫美子が歩いている」と絶賛(?)された。
舞台衣装のような服でオフィスに行くと、「今日の出し物はなんですか?」と、面白がられた。それは、あれこれと憶測されていた頃に比べると、別次元のような心地よいリアクションだった。要するに、私を見ている、私の個性と性格と、ありのままを受け取ってもらえたという快感だった。
さて、いよいよ40才も超え、だんだんと老いがやって来る。若い頃から、10才くらい下の年齢に見られていたが、そんな若そうに見える部分と、経験を積んだ物腰とがミスマッチを始めたようだ。
見るからに、いくつで、その通りの雰囲気なら、きっと誰も憶測をしないのだろう。だけど、妙に子供っぽかったり、やたらと昔のことを知っていたりすると、いったい何歳なのだろうかと疑問を持つのかも知れない。
すると、いきなり年齢を聞かれる。私をよく見もしないで、理解しようともしないで、年齢という枠をもって、私を決めつけようとしていると感じる。
特に、ヒーラーの仕事を始め、クラスを持つようになると、初対面でいきなり年齢を聞かれる。
“それは、あなたにとっては、失礼なことではないのですね?ぶしつけではないのですね?”
どうなのか?私なら聞かないけれども、聞いても普通のことですか?そんな疑問がまず浮かぶ。
私のクラスには、色んな年齢の方が参加される。普通に社会生活をしていたら、お友達になったりできないような年の差がある人でも、成長を求めて共に高め合うクラスメイト同士になれる。
魂の出会いがある。それは、とても豊かなことで、心の触れ合いを楽しめるステキな関係が築ける。生きてきた年数よりも、魂の経験の量の方が、重要になるお付き合いだ。
精神年齢は、親密なお付き合いをするときの重要なポイントだ。
学びと気付きの位置が、人との関係において、適度な距離感を保つためのバロメーターになる。
さらに、今、この時代。地球がアセンションを果たそうとしているとき。地上に転生している魂達の霊的年齢は、様々なレベルが混在している。人を見つめるとき、その方が気にならないのか。

幼い頃から、様々な枠に押しつけられ、居心地の悪い思いをしてきた。だから、その枠が、どれだけ意味のないことかを伝えていきたい。人の個性と性格と、心の奥深くに秘めている思いと付き合う心地良さを見つけて欲しいと思う。その人の魂の転生目的と一緒にいる豊かさを体験して欲しいと思うのだ。
体が「何年もの」であるかなど、まったくもって興味がない。注目するのは、その人が毎日毎日を、どのような密度で生きてきたかだ。これまで何年か生きてきて、その一年一年の体験に取り組んできた深さが知りたい。

そんな私でも、最近、同い年に親近感を覚えた。生きてきた年数が、初めて意味を持ったのは、少女時代のアイドルが同じだったからだ。 年齢って、人を近づけることもあるんだと思った。
しかしそれは、年齢が同じということではなく、同じ時代を、同じような枠の中を生きてきたという同士のような感覚だ。年齢によって、同じ時代を生きたことが、直ぐさま分かる。大変便利なことだと思った。が、やはりそれだけでは哀しい。大雑把なバロメーターになるだけで、人を知る材料ではない。
肉体は、その時の心や、エネルギー状態によって、見え方が大きく違う。そんな「外のこと」に、注目する時代はもう終わったと考えている。
生きた年数は、基本的に尊重する。時間の縦軸は、まだ意味のあることだと思う。しかし、それが人を判断する基準になる時代はもう終わったのだ。
私が幼い頃から、時間という縦軸に居心地の悪さを感じてきたこと。その答えが、魂の目覚めと共にハッキリとした。それからと言うもの、真の意味での親近感を覚える人達との出会いが増えた。
そして今、霊的年齢の高い魂達が多く転生している時代に、年齢というレッテルを未だに貼って、人を見つめない姿勢の人達へメッセージを贈りたい。
瞬間、瞬間に真剣であること、心と考えと行動とが自己一致していること、それをどれだけ長く、密度の濃い時間の過ごし方をしたか・・を、感じ取れる人になりましょう。
そのような心の深い人になるには、そのような生き方をすること。それに尽きるのです。
合掌。

 

 

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