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夫美子語録

愛と信頼と
2005-10月25日(火)

さてはて、のんびりした事だと思う。人からの信頼を失っているのに、まずはそれに気付いていないのかも知れない。それから、信頼されていた事さえ、知らなかったのかも知れない。更には、それを回復させるチャンスが差し出されているのに、回復させる事は無理だと、頭から取り組んでもいなかったのだろう。。
また、信頼などと言う事を、軽く考えているのかも知れない。それはその人の親が悪い。そのような教育をしてこなかったのだろうと思う。どれ程信頼を裏切っても、何も言わず手を差し伸べていたのだろう。それを「過保護」と言う。
そんなふうに育てられた人間は、容易に信頼を裏切る。それでも、次にはやり直しがきくと思っている。やり直しのチャンスが、無条件で常にやってくると安易に考えているのだろう。
しかし、他人はそうはいかない。簡単に放り出す。付き合いを止める。素っ気なくして、次なるチャンスがない事を匂わせる。なので何となく遠ざかる。そんな繰り返しをして、深い信頼をおく友人に恵まれないまま、何となく人生を歩んでいく。
男女の関係も同じだ。何となく好意を持ち現し、調子よく付き合う。何かのきっかけで信頼を損ねる。きちんと向き合わないまま、はっきりと伝え合わないまま、次第に溝は深まり、修復ができなくなり、いつからどこから距離が開いていったのか、その頃には分からない。
どこをどう修復したらいいのか分からない事は、放り出すしかないので泣く泣く分かれる。何が原因で離別となったのか、知らないままに時は過ぎていく。

そんな人生がイヤなはずだ。愛する人と、愛し愛されて、心豊かに生きたいはずだ。愛されたいけど、愛するとは何かには取り組まないからその様になる。
愛するとは、信頼を得るためのアプローチを、どれだけたくさん投げかけたかだと思う。それは、もてはやして持ち上げて、ちやほやする事ではない。
愛したい人は、そんな事は見てはいない。その人が、どのように自分と関わり、どのように自分を理解し、そんな自分に、どのような手を差し伸べてくれるのか。それから、どのように心を受け止め、その心にどのような心で関わるのか、その態度と行いを見つめている。
疑いが生じた時には、様々な角度から、その嫌疑を晴らそうとしてくる。それは“愛し続けたい”と言うメッセージなのだ。それを素早くキャッチして、懸命に考え、真摯に応えて行かなければならない。それをした時に、初めて「信頼」と言う、素晴らしい関係が生まれる。

一度失った信頼は、相当の覚悟で取り組まなければ回復しない。しかし、その人が愛ある人で、心が豊かで在れば、割合すぐに、その回復のチャンスを提示してくれているものだ。のんびりと、次なる機会に、名誉挽回と頑張ろうなどと、悠長な態度でいる場合ではない。
回復を図るなら、間髪入れず、即、大急ぎで取り組まなければならない。それが、信頼を損ねた事の「重大さ」に、「気付いている」態度だからだ。
信頼は、裏切った人よりも、失った人の方が辛い。そんな心を受け取っていたのなら、それを知っていたのなら、失望させた事が、どれだけ心痛む事か、容易に分かるはずだ。
しかし、愛される事に慣れていない人は、その大急ぎができない。自分のような取るに足らない人間が、ちょっと失敗したからと言って、信頼してくれていた人でも、そんなにがっかりしてはいないだろうと放り出す。
それは、“愛されるのが苦手”と言うような、表向きに取り繕った言葉で表現される。心の痛いところを、すーっと通り過ぎて、見つめず取り組まず、痛みを見ない振りをする、上手い“逃げ口上”だ。楽ちんな生き方だ。
さて、そうなら、もう信頼も愛も、欲しいなどと言わない事にしましょう。人と、事務的に付き合えば良い。すれば、傷つける事も、がっかりさせる事もない。“私を見て、分かって、大切にして”などと、人に近づいて行かない事だ。その方が、周辺穏やかである事だろう。

さて、それがイヤなら、人と愛し愛され、信頼し信頼され、心が豊かに満たされた人生を送りたいのなら、自分の態度と関わる人達の事に、いつも愛を持って取り組む事だ。
信頼を、感謝もなく受け取ってはいけない。チャンスがもたらされている事にも、いち早く気付き、感謝して応えなければならない。謝罪が必要なら、心から詫びよう。しかし、この詫びは、あくまで失望させた相手の心への謝罪であるべきだ。
多くの人が、ここで間違う。自分を分からせようとする。どんなに“自分”が、その信頼を裏切った事に落胆し反省しているかを、滔々(とうとう)と述べる。それに至った経緯を釈明する。謝罪ではなく、それでも信頼してくれと懇願している事に気が付かないのか。
謝罪とは、自分のした事によって与えた影響を、詫びる事だ。それが、相手にとってどれだけの痛みとなっているのか、思いやり、労り、その総てを受け止める覚悟を示す事だ。
信頼が消えるのはもっともな事だと、受け入れていなければならない。それきりの関係となって、付き合いが終わる事も、平身低頭して受け入れる覚悟を示す事だ。
それも、自分の過ちに気付くやいなや、一目散に行わなければならないが、人間、そんなに器用ではない。謝れる力は、誰にでも備わってはいるものの、その力を取り戻すには、人それぞれの時間が必要だ。しかし、力を取り戻したら、そのままにしておかない事だ。真心を込めて、それに臨みたい。
と、そんなのんびりした事を、実は言っている暇はない。それは、謝罪を受け取る側にも、心の強さが求められるからだ。多くの人は許さない。謝罪を受けつけない。だから関係が終わる。
では、心の力がある人はどうか。そんな人は、謝罪のチャンスをくれる。次なる時を作ってくれる。名誉挽回のために、失敗から学んだ事を見せる姿を、待っていて見てくれる。

そんな人に出会っていたら、その「愛」を心して受け取らなくてはならない。その大切さを感じ入っていなければならない。他者との違いに、ハッキリとした認識を持っていなければならない。
そんな深い愛も知らず、愚かな人は、そのチャンスがもたらされた事を、過ちは許されたと勘違いしたがる。それが楽だからだ。過ちを見つめる事ほど、きつい事はない。
そんな愛は、心地よく、暖かで、まるで無条件の愛のように感じ、自分が何をしでかしても、どんな仕打ちをその人にしても、許されると言う錯覚を覚える。平気で甘える。それはまるで親のようだからだ。まさしく、親がそうだ。但し、そんな深い信頼を裏切る時には、チャンスが与えられるのは2度までの事。3度目には、二度と修復できない。それはその人の、心が狭いのではない。見放されたのだ。可能性を見る事を、諦めさせてしまったのだ。愛が本物であればあれほど、その終わりは厳しいものとなるだろう。
どれだけ恵まれていたかが分かるのは、おそらくそれを失った時だろう。チャンスがもたらされる幸運を分かっていない。残念な事だ。

本来ならば、自ら進み出て、改めるチャンスを請うべきだ。誠実な人は、すぐにそれをやる。すぐに信頼を取り戻す。その様に、自らを律する力のある者にとって、失敗は信頼を深める好機となる。その自浄力と、行動力と、誠実さが見せつけられる時となるからだ。
どのようにその後を改めるかも指し示すだろう。二度と失敗をしない等ととは言わない。失敗をしておいて、そんな言葉を発する愚かさを知っているからだ。それは実行する事で示すべき事だからだ。
また、改める様子を見守ってくれとも、願うべきではない。見放されて当然と分かっておれば、それを覚悟の謝罪ならば、願うなどと本末転倒な事を求めるのがおかしい。

おそらく、愛ある人は、見ぬ振りをして見守る事だろう。それは賢い親と同じだ。何年でも待つ。いつまでも待つ。忘れる事はない。それは、1度目の過ちも2度目の過ちも、忘れられはしないと言う意味でもある。見守られたからと言って、甘える人はそれが分からないようだ。親も悲しい。
甘える人は、しばらく頑張って身を正しているが、信頼が得られそうに感じると身が緩む。平気で緩む。そしてまた、同じ過ちを繰り返す。親でも呆れる。見放す。見放された人は、楽な生き方を始める。身を正す努力を放棄する。

そもそも、誰かに認められようとか、見守ってもらおうとか、評価を外に求める人の生き方である。誰かが見ていれば態度に気を付け、見られていない時には手を抜いて生きる。
魂が内側にあって、終始共にあり、いかなる時にも“見ている”事を忘れている。魂は、心に隠した事も総て見ている。誰が感づかなくても、魂は知っている。今、この瞬間の、このひとつの呼吸にも。魂は総てを託している。
魂は、罰する事も許す事もしない。ただ、そのままでそれで良い。分かれば良いし、分からなければ、それも良い。ただ、次なる人生では、その過ちを感じさせられた側となって生まれる。その痛みを生きるのだ。

もし、あなたが今、痛みを体験していたら、それはその人生での過去の投影かも知れない。そして、過去生の投影でもあるかも知れない。
他者を傷つける事の痛さを、思い知るほど味わうがよろしかろう。それが、過ちを2度と繰り返さない覚悟となる。

愛が分かると、生い立ちの過程でどれだけ両親を傷つけたかが理解される。どれだけ信頼を裏切り続けたかが分かる。あの時、母は悲しかったろう。あの時、父はがっかりしたろう。
その痛みが、胸を突き刺してくる。だから、私は愛を生きる。何がどうあろうとも、私は愛と信頼とを、この人生で見失わないと心に決めているのだ。合掌。


 

 

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