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夫美子語録

「人を愛する」とは、何と豊かな事であろうか
1999-12月

胸のあたりに温かいものがただよい、全身を貫く心地よい刺激が放射状に広がってゆく感じがする。愛する人を見つめ、その魅力を受け入れ、その輝きを感じる事は、人生の絶頂の喜びとなる。しかし、この思いが相手に伝わらないどころか、いや、伝わるかどうかと言うよりも、誤解され攻撃と受け取られてしまったらどうだろうか。自分が誤解されている事が苦しいのではなく、愛する人が傷ついていく姿を見る程苦しいものはない。それが確かに攻撃であれば、それを止めれば傷つけてしまう危険は避けられる。しかしそれが愛にもかかわらず、その人の中の何かがそれを攻撃と受け止めるフロッピーを作動させてしまうのだとしたら、何と苦しみのアリ地獄に落ち込んでしまう事だろうか。手を変え品を変え、それが愛だという事をストレートに伝えようとする努力は、砂漠に水をまくかのように永遠に報われない。はたして、そうして失望してゆく事が、攻撃と受け取った人の仕返しであろう。愛しているのにもかかわらず、人を傷つける苦しみを味わうばかりでなく、失望し、空しい自分の力のなさを思い知れば知る程、自分の愛のはかなさを思う。そして、いつか、自分の愛を感じる事が恐くなる時がやって来る。それは即ち、自分の存在意味を見失った状態であり、生きてゆくのが嫌になってゆく時だ。出直して、もう一度愛を捜すところから始めようかと考え始める。「消えてしまいたい・・、」と思いのままに肉体を離れる事ができたら、どんなに楽になれる事か・・。
そんな10月・11月を過ごしたあなた、もうすぐ終わりですよ。人から愛される喜びを、もうこの際これさえも捨てて、自分の愛を見つめ「自分を愛する喜び」そのひとつだけを持って、次のミレニアムへ飛び込みましょうよ! 12月は「自分を大好き!」になりましょう。自分のどんな部分も、これまで嫌いだと思っていたところも、何もかもひっくるめて、「どんな私も大好き!」でいましょう。だ〜い好きな自分と、ハッピィ・ニュー・イヤー。



<愛するということ>
どうやら「自分は愛されているかどうか?」と確かめようとする人は愛されないようだ。 
1999-8月


私達人間は生まれる時に「母の体から分離する」という物理的現実を通して、愛のエネルギーで守られていた場所から、独立という「個」としての単体の体験が始まる。その時から、自分が愛されているかどうかを、外に見始めるような気がする。その分離の孤独を充分に安全であると認識するのに3年くらいかかるのでしょうか。3才くらいまで、母に抱かれそばで育まれた子供は、愛を確かめる習慣を持たないですむように思う。しかし現代の社会状況から見てそうはいかないのが現実です。母は忙しく、また父も。特に日本は働き続ける父親ばかりで、そういう両親のもとで育った子供は日常的に両親の愛を確かめようとしていく。それが習慣になり、パートナーを得る年齢になる時、まずその安全を確かめようとする事になっていくようだ。恋をしている時は、なんとなくそんな感じがあるとして、結婚となるとそこに日常生活が加わってくるから、そうそうその事に注目していくワケにいかなくなる。そんな時確かめたくなる。確かめようとすると相手に労力をはらわせる事になる。日常の中で、そういつもいつもスペシャルでいられるワケはなく、次第にそういう相手はうとましくなるものです。態度や言葉でその”かたち”を追いかけるのをちょっと休んで「もうすでに充分愛されている」と認めてみたらどうだろうか?
どうやら「愛される人」は、まず「愛されているという確信を持っている」ように思う。愛されていると信じている人には、多大な労力を払わなくて良い。自分の心が充分に伝わっていると感じると、人はとても安らいで豊かになれる。そういう人と多くの時間を過ごしたいと思うのは自然な事ではないだろうか。



私達は、愛する喜びを分かち合うために仲間と共存している

この頃つくづく思う。コミュニケーションというものが根本的に崩れ落ちて行っている気がする。とても個人的に電話をしているのに、返答がない。その人だけに直筆で書いた手紙やメッセージに、なんの応答もない。FAXを出しても届いたのか了解したのか音沙汰すらない。いったいどうなっているのだろうかと考えた。電子レンジがチンして食事を温めてくれるようになってから、人は待たないでいる事を覚え、テレビがあ〜っ!!といいところでコマーシャルに入る事で、探求心やら好奇心やら達成感やらを忘れ、そしてコンピューターの普及で、人と直に触れ合う感じ合う繊細さや実感が遠のいてしまった事の結果、コミュニケーションが一方通行化していったのではないかしら。ヒーリングを通して自分を感じる事の大切さを知り、人として体験する事の大きさに注意深くありたいとする生き方そのものが、この頃の大方の人々のやり方と距離があいているように思う。心から送った手紙が捨てられ、自分が紙のように扱われた感じがする。電話に残した思いを伝える言葉が、自分が単なる音として消去されていく感じがする。返答のない人にはそのように感じ、そのうち距離を置きたくてのシカトかなと配慮し始める。迷惑なのなら働きかけもやめなくてはいけないかもしれない。そういう事さえはっきりしない。しかし、自分として特に問題はない。ちょっとがっかりするが、相手の出方で自分をころころと変える必要はないと思う。しかし、コミュニケーションを投げかけられた方は、何か大切なものを失っていくのではないかしら。感じるという事、体験するという事、人と関わって生きているこの世の中の調和というものから外れてしまわないのか? 人生を喜びをもって生きているだろうか? 孤独ではないだろうか? 感動の少ない毎日になっていないだろうか。自分の事が好きだろうか? 
私達は自分を知り、好きになり、愛する喜びを分かち合うために仲間と共存している。人とコミュニケーションを取るという事は、自分を大切にするという事につながらる。そこに人がいなければ、自分に人を愛する能力のある事が見つけられない。人を愛する喜びは、そこに人が居てこそ味わえる神様からの贈り物だと思う。
 

 

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